園田 美和

(そのだ みわ)さん

 

 日本医療研究開発機構 

 国際事業部

 

 

 

 

  • 1998年        慶應義塾看護短期大学卒業

  • 19982001年 東京女子医科大学病院 心臓血管外科ICU

  • 20012003年 University of Porto, PortugalLanguage Diploma Course

  • 20022003年 British Hospital, Portugal(手術室、内視鏡室)

  • 20042008年 国立国際医療研究センター ICUCCU

    2007年 木村看護教育財団 Mayo Clinic 臨床研修)

  • 20082013年 国立国際医療研究センター 国際医療協力局

    20102012JICAベトナム医療従事者質の改善プロジェクト長期専門家派遣)

  • 20092014年  University of Liverpool (Master of Public Health)

  • 20132014年 厚生労働省医政局看護課

  • 20142016年 国立国際医療研究センター 国際医療協力局

    20142016JICAラオス母子保健人材開発プロジェクト長期専門家派遣)

  • 2016現在   日本医療研究開発機構 国際事業部

  • 2018現在     Johns Hopkins University (School of Public Health)

学生時代について

 

大学進学を考える際、国際教養学部か看護学部かで悩みました。当時は、国際教養を学んだ後に何の仕事をしたいのか自分でもわからず、両親に反対され、最終的には看護を選びました。何校か見学に行き、生徒が自由で楽しそうだった様子に魅力を感じ、慶應を選びました。

 

学生時代は、アルバイトとサークル活動に精を出す、普通の学生でした。大学での授業は、知識や技術習得の枠を超えた、新聞記事や書籍を題材にした討議等、感性に訴えるようなリベラルアーツ的な授業が好きでした。生徒の自主性を慮ってくれる先生方の下、自分で感じ・考えた事を自由に表現できる校風の中で教育を受けた事は財産だと思っています。慶應カメラクラブというサークルに入り、三田祭での写真展開催、六大学野球の撮影、夏合宿など、学部を超えて学生交流できたことは良い思い出です。今では海外に関わる仕事をしていますが、学生時代に海外看護実習参加はおろか、外国旅行にも行ったことはありませんでした。

 

ポルトガルでの経験

 

当時は「心臓移植」に関心があり、卒業後は東京女子医科大学病院の心臓血管外科ICUに就職しました。3年間勤務し、奨学金を返済し、貯金もできた後、第3言語取得目的でポルトガルに留学をしました。国立ポルト大学のディプロマコースを受講し、外国人対象ポルトガル語上級証書(DAPLE)を取得し、ポルトガル植民地の一つであった「東ティモールの独立」をテーマに卒業レポートを書きました。また、British Hospitalというインターナショナルクリニックで働く機会を得ました。患者さんは富裕層のヨーロッパ人が多い一方、病院スタッフには南米・アフリカ・アジアからの移民も多く、中には紛争地から逃れ、また、自国の家族を経済的に支えるために働いている同僚看護師もおり、世界の格差を痛感しました。一方、当時の私はただのアジアからの若い移民でしたので、最初は同僚から差別やイジメを受けました。生活や仕事に慣れるにつれ、言葉で反撃できる様になったり、自分の仕事ぶりを同僚に認めてもらえる様にもなり、異文化適応能力が鍛えられた様に思います。ポルトガルで給与を受け、税務署で納税手続きをした時はとても誇らしく思いました。これらの経験を経て、「開発途上国の人々の健康に関わる仕事をする」という夢ができました。

 

国際医療協力の経験

 

帰国後は、国際医療に従事することを目標に、国立国際医療研究センターで勤務を開始しました。ICUCCU病棟に勤務し、病棟業務改善活動、看護研究、幹部任用試験合格などの実績や語学能力が認められ、希望していた国際医療協力局に配属されることとなりました。そこでは、開発途上国の医療や保健衛生の向上を図るためにさまざまな支援を行っており、例えば、国際協力機構(JICA)のプロジェクト専門家派遣、外国人集団研修の運営、研究実施等、国内外での多くの仕事を経験させてもらいました。分野も、HIV対策・院内感染症等の感染症から、災害緊急援助活動、ヘルスシステム強化など多岐に渡りました。長期専門家として2年間派遣された「JICAラオス母子保健人材開発プロジェクト」では、チーフアドバイザーを務めつつ、医療従事者の資格制度基盤構築に携わりました。ラオス保健省幹部を始めとするステークホルダー達と十数回にわたる検討会を重ね、最終的には「Strategy on Healthcare Professional Licensing and Registration System in Lao Peoples Democratic Republic 2016-2025という国家戦略の策定・公布に至りました。現在ラオスではこの戦略に基づいて国家試験と免許制度が構築されつつあり、自分が携わった仕事が継続発展されている事を嬉しく思っています。

 

また、途中1年間、厚生労働省医政局看護課(厚労省)に出向し、EPA(経済連携協定)に基づく外国看護師等の国家試験受験資格や国際看護に関わる仕事を担当しました。法令に基づく行政に携わった経験は、開発途上国保健省の行政官と働き、共に保健政策を考えるうえで非常に役立ちました。

 

グローバルヘルスと研究支援

 私がこれまでに出会った開発途上国の医療従事者や行政官達は、日本を含む先進国のシステムをそのまま自国に導入したいとは決して考えていません。彼らは、調査や研究により自国特有の問題を明らかにし、(資源・財源が限られた環境では特に)現実的で効果的な解決策を立案し、効率的に計画を実施したいと考えています。また、仮説を生成し、仮説を検証できる能力は専門家としての自信につながり、更に、研究者同志の国際交流も可能にします。この様に、開発途上国での研究の重要性を実感するようになりました。

 厚労省勤務時代にお世話になった方から紹介を受け、2016年からは日本医療研究開発機構(AMED)で勤務し、開発途上国に関係する研究事業を担当しています。これまでに、米国国立衛生研究所(NIH)との二国間協力事業として、アジアの感染症分野における「若手や女性研究者向けの国際共同研究助成プログラム」を立ち上げました。また、慢性疾患国際アライアンス(GACD)と連携して、世界的に増加傾向にある慢性疾患の予防と対策に資する研究事業を新しく導入しました。国内外のステークホルダー(利害関係者)との調整・連携を行いながら仕事を進めることもさながら、開発途上国で実施されている研究課題管理に携わることはやりがいがあります。優れた研究者の先生達により計画・実践される研究の成果導出に向け、いかに自分が「触媒」としてさまざまな情報や人をつないで連携を進めながら研究を推進し、より大きいものとできるかを意識して仕事をしています。担当している研究から、研究実施国や世界で役立つ成果につながった時は特に喜びを感じます。自分が担当している事業の規模は決して大きくは無いのですが、我が国のグルーバルヘルス分野の研究発展に寄与できるべく、事業の質向上を目指しています。

 

グローバルヘルスへの思いについて

 

グローバルヘルスに貢献することは自分の夢であり、ベトナムやラオスで働いていた時は“Live in a dream”という気持ちでした。グローバルヘルスの研究支援に携わる現在はさらに“Beyond my wildest dream”だとも思っています。現実の仕事は綺麗事ばかりでは無く、消耗する事務作業や疲弊するコミュニケーションの連続だったりもするのですが、その様な苦労も含めてやりたい仕事に従事できる自分は幸せだと思っています。これもひとえに、ステップアップへの機会や責任のある仕事の機会を与えてくれた、多くの先達や上司に恵まれたおかげです。

 

これと同様に、厳しく指導してくれて、自分の行動や価値観を変容するきっかけを与えてくれた方々との貴重な出会いも多くありました。ICU勤務をしていた時、最先端の呼吸ケアについて英語論文を引用しながら「現在ICUで行われているケアがいかに不適切か」を先輩に指摘したら、「何でもすぐに変えればいいってもんじゃない」と本当に怒られました。ある環境で何かしらの理由があり長く行われているプラクティスについて、状況をよく知らない私が(エビデンスが無いという理由で)全否定したので、先輩に拒絶されたのだと気づきました。そこからアプローチを変え、人間関係構築に努め、皆で呼吸認定療法士の資格を取得しつつ、少しずつ業務改善を進めました。他者に何かをして欲しいときや集団レベルで介入をする際は、「何をするか」に加え、「どうアプローチするか」が大事だと学び、この体験は、開発途上国での自分の仕事を進める上で大変役立ちました。

 

これからについて

 

仕事にはとても恵まれてきたので、仕事を続けながら必要な勉強をしています。10年程前には、英国Liverpool UniversityMaster of Public Healthで疫学やInternational Healthをオンラインで学びました。現在は米国Johns Hopkins Universityで臨床試験を中心に勉強し、最終的にはDoctor of Public Health取得を目指しています。これまでのICUの臨床経験も活かしつつ、途上国での臨床研究に関わる様な仕事をできるように、知識と経験を深めたいと考えています。

 

臨床・国際協力・行政・研究支援と仕事の幅を広げてきましたが、自分のキャパシティを超えた仕事に全力で取り組む中、自分だけでなく、時には周りも疲弊させてしまったこともありました。その様なやり方では長続きしないと反省し、また、結婚して家族もできため、肩の力を抜いて息の長い仕事ができる様にと人生後半戦に向け、シフトチェンジをしています。

 

また、自分がこれまで多くの成長できる機会を与えられてきた様に、若い人達にもできるだけ多くの機会を与えることができる様になりたいと考えています。これまでに、大学で国際看護の講義をしたり、ベトナムやラオスで国際看護実習を受け入れたりしたこともありました。グローバルヘルスに関心を持つ看護学生・看護師さん達に、自分の経験を共有し、何かしら役立ててもらうことも考え、本インタビューをお引き受けしました。

 

皆様へのメッセージ

 

学生時代に慶應病院の就職試験を受けましたが、不合格でした。真面目な生徒では無かったことに加え、(前日に友達から借りた「ガラスの仮面」を徹夜で読んで)採用試験に寝坊・遅刻をした事も一つの原因かなと考えています。しかし、慶應病院に就職しなかったことで結果的に自分の道が拓けているので、これも運命だと思っています(同様に、アメリカの看護師免許を取得し、アメリカで長く働く同じ不合格組の親友もいます)。私自身「慶應」に属していた期間は短いのですが、社会で慶應のつながりから恩恵を受けることもあったり、また、学生時代の恩師と一緒に仕事をする機会も得たり、続くご縁も感じます。何より、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」や「独立自尊」の様な素晴らしい理念を、世代を超えて多くの人たちと共有できるのが一番の良さだと感じています。