添田 英津子(そえだ えつこ)さん

1985年 三輪田学園高等学校卒業

1988年 慶應義塾大学医学部付属厚生女子学院卒業後、同大学病院小児外  

    科病棟に看護師として勤務

1992年 移植研修目的でボストン・ピッツバーグへ渡る。ピッツバーグ大

    学看護学部学士課程、デュンケイン大学看護大学院修士課程卒業

1998年 帰国。慶應義塾短期大学で助手として勤務

2003年 慶應義塾大学病院にて専任のレシピエント移植コーディネーター

    として活動。デュンケイン大学看護大学院博士課程在学中

 

 

著書:「医者と患者の新しい"パイプ役"移植コーディネーター 人と人の命をつなぐ」2004年、コスモトゥーワン「臓器移植ナーシング」2003年、学習研究社


移植コーディネーターとは?

 移植コーディネーターには、2つの役割があります。1つは、「継続ケア」を行なうことです。2つめは、「調整」をすることです。

 移植医療において、「継続ケア」という言葉はとても大きな意味を持ちます。継続ケアの開始は、主治医から移植が必要かもと言われ「移植医療ってどのようなものだろう」「受けるか受けないか分からないけれど、一度移植医療の話を聞いてみたい」という段階からはじまります。大抵の患者さんは「移植」という言葉を聞いただけで不安になりますし、多くの質問を持つものです。不安や心配事を聞いたり、質問に答えたりするのがまずの役割です。移植を受け、移植を受けたとしても、他の治療方法と違って移植には卒業(終診)がありません。というのは、現在の医学では、患者さんは一生涯免疫抑制剤を飲み続けないといけません。だからこそ、長期にわたって継続して見ていくスタッフが必要なのです。例えば、インフルエンザが流行る時はどうしたらいいか、年末などに熱が出てしまったらどうしたらいいか、昨日は、弟に間違えて免疫抑制剤を飲ませてしまった相談例などがあったのですよ。本当に、色々な相談が来ます。移植のよろず相談所と言えますね。

 もう1つの役割の「調整」というのは、移植コーディネーターは、移植医療がスムーズに行なわれるように調整するエージェントであるということです。看護師であると、どうしても病棟で患者さんのケアを担当するわけで、病棟を越えての活動は難しいのが現実です。移植コーディネーターは、新しい患者さんが移植を受けるとなると、外来・病棟・手術室に行って、これから来院する患者の情報をスタッフに知らせたり、移植関連部署と手術に関する連絡調整などをしたりしています。また、院内だけではなく、例えば(社)日本臓器移植ネットワークへの脳死移植希望者登録やその他の連絡調整をすることもあります。

「継続ケア」と「調整」。これが移植コーディネーターの役割です。

移植コーディネータ―には2種類ある

 移植コーディネーターには、大きく分けて「ドナー移植コーディネーター」と「レシピエント移植コーディネーター」があります。前者は、脳死患者さん(=ドナー)とそのご家族のケアをします。臓器提供の意思確認をし、安全に臓器を摘出して、臓器を待っている患者に届ける橋渡しをします。一方、後者は移植病院で移植を待つ患者さん(=レシピエント)のケアをします。ドナー情報に備え、患者さんが移植を受ける順番が来たときは、移植手術の準備をします。日本は、生体間の移植が多いので、私の場合は、肝臓と腎臓と小腸のレシピエント移植コーディネーターですが、生体ドナーのケアも担当しています。

看護の道へ

 幼い頃、兄や弟が怪我や病気で入院することがありました。そのとき、看護師が点滴を交換する姿を見てかっこいいなと思い、看護師にあこがれたのがきっかけです。慶應義塾大学医学部付属厚生女子学院を選んだのは、自宅が両国なので信濃町は同じ総武線沿線だったからです。卒業する頃に、丁度、新棟が建ちました。もともと子どもが好きなので、小児科勤務を希望していました。

 

 当時、新棟にある小児科系病棟は、小児外科でしたのでその病棟を希望しました。その後は著書にも書いた通りです。胆道閉鎖症という病気の子どもたちが、治療のために、禁食の飲水制限、採血、検査、処置、小さな身体で病気と闘っていました。多くの子どもたちは、肝硬変で腹水がたまり、黄疸で真黄色なまま亡くなっていってしまいました。一方で、同じような状況の子どもが海外では移植手術を受けて元気になっていると知った時、移植医療の実際を知りたいと思うようになりました。

看護師から移植コーディネーターへ

 看護師もコーディネートするけれど、その違いは、移植コーディネーターはベッドサイドや病棟づけの勤務ではないということです。移植コーディネーターは、看護師が行なうベッドサイドでのコーディネートとは違った意味でのコーディネートをしています。

 

 例えば、看護師はベッドサイドでケアをしますね。朝8時から4時半まで、ケアと処置と記録を担当し、4時半に終業するときには身体のエンジンは切れる寸前です。私の役割は、そのような看護師をサポートすることだと思います。新しい患者さんの情報を提供したり、移植後の患者さんの外来での様子を伝えたり、勉強会を開いたり、学会のお知らせをしたり、学会で見て聴いてきた情報を伝えたりしています。

 

 看護師の中でもこの仕事をやってみたいなと思ってくれる人が増えてくれたら嬉しいです。当院でも2、3人興味を持って勉強している人がいます。現在の、看護教育のカリキュラムの中で、学生の皆さんは移植についてはほとんど勉強するチャンスはありませんね。だからこそ、臨床で働いている看護師への移植医療に関する教育役や相談役は必要だと思っています。

慶應義塾大学病院では一年間に何件くらいの臓器移植があるのですか

 昨年(2008年)は、肝臓移植だけでも初診患者さんは約60人いらっしゃいました。そのうち、肝臓移植が成人と小児合わせて13人の患者さんが移植を受けました。腎臓移植の初診患者も約50人で、そのうち、10数例の患者さんが移植を受けました。(3名は、献腎ドナーからの移植でした。)小腸移植は、新しい分野なので初診患者さんは数名で、実際に受けられた方は1人でした。

移植医療は進めていくべき?

 基本的に、私たち移植コーディネーターは、この移植医療にはベネフィットがあると信念を持っています。例えば、肝移植を受けた方は、移植を受ける前は身体が重くてエンジン音にたとえると「ブル、ブル、ブルルルル」、移植を受けた後は、身体が楽で「プルルルルゥ〜」だそうです。移植医療は、まさにエンジンの取替えなのです。

 

 ただし、生体間移植を進めていくべきかということは、難しい質問です。生体ドナーになるためには、血族6親等姻族3親等以内の関係で、臓器提供することに対して「自発的な意思のあること」が、大切な絶対条件です。たとえ自発的な意思があったとしても、健康な方が手術を受けるわけなので心配や不安はあるものです。ある生体ドナーの方は、臓器提供の経験はまるでバンジージャンプのように勇気のいるものだったと表現していました。また、手術を担当している医師も、健康な方にメスを入れるのですから、緊張で怖い顔(!)をして手術をしています。その現場に居合わせると、生体間移植の限界や厳しさを知り、脳死移植や再生医療の発展への期待せざるを得ません。

 

●日本移植再生医療看護学会という学会があります。2009年は私が学会長で、当院で開催します。

平成21年10月3日(土)北里講堂

(参考:日本移植再生医療看護学会ホームページ http://jsntrm.hs.med.kyoto-u.ac.jp/index.html

移植コーディネーターの発展

 現在は、私の所属は医療事務室です。なぜならば、看護部に所属するためには三交代勤務をしないとならないからです。移植コーディネーターとして活動するためには、夜勤はできませんので、医療事務室に所属となったわけです。ということは、私は、看護師としてのお給料はいただいていません。さまざまな専門職が、それぞれの必要性をプロパガンダしていくことは本当に難しいのです。そもそも、移植医療自体が病院へ利潤をもたらすようになっていません。先進医療を進めるとき、その専門職の雇用・認定・教育という3点で組織立てていくことが必要です。現在、認定制度については、日本移植学会が中心となって整理しています。

大学院での研究テーマは何ですか

 生体肝移植のドナーの方の長期的なQOLです。生体肝移植は子どもを救う為のものでしたが、2003年に保険適用になり、肝臓がんや大人同士の生体肝移植が増えました。比較的、子どもたちの親は元気になっています。子どもに肝臓をあげることができ、救うことができて良かったということです。しかし、大人同士の場合は小児の場合とは少し様子が違うようです。現疾患によりますが、長年の闘病生活の延長線上に移植医療がある場合、患者・家族の背景は、とても複雑なようです。第一段階での研究では、術後1年間は、健康や精神レベルが低いという結果が得られました。その方たちが7年後の今どうなっているか、調べてみたいと思っています。

脳死移植について

 「脳死」という状況は、通常看護師として勤務していると、あまりピンと来ない像かも知れません。例えば、タイという国は敬虔な仏教国ですが、タイの移植コーディネーターは、脳死を次のように表現していました。「人の命を『プロセス』と考えると、生を受けて生まれて、成長して、年老いて、心臓が止まって亡くなっていく。心臓が止まってなくなった後も、ご遺体からヒゲが生えるが次第に朽ちていく。という一つのプロセスの一部に「脳死」という状況があるのです。」ということは、私たち医療従事者は、「これが脳死」とone time onlyで捕らえるのではなく、患者さんが生きている延長線上に脳死状態があるという捕らえ方とすることが大切だと思うのです。脳死の多くは、急な脳出血や予想していなかった交通事故などで起こることなので、その現実を私たちも認めにくいという背景はありますが、脳死を生命が誕生して朽ちていくプロセスのうちの一つの通過点として捕らえることは、自然現状として理解する上でとても分かりやすい考え方ことだと思います。そして、「死」を自然現象として捕らえると、何故か勇気が湧いてきます。

 

 私自身、どのように死んでいくかは想像が付きません。もし、自分が脳死状態になったら、誰かの役に立つのであれば臓器でも組織でも差し上げたいと思っています。しかし、自分の家族が脳死状態になったら、私は冷静に判断ができるのでしょうか。「母は、臓器提供を希望していたかしら」「父は臓器提供を希望していたかしら」と、流石に悩んでしまうでしょう。ですから、普段から、まずは「お母さん、お父さん、長生きしてね」でも、「何かあったらどうしよう」と心がけて確認しておくことが大切だと思うのです。下町育ちの父は言います、「準備をすると、意外と死なないものだよな」と(笑)。

移植医療への理解を広める

 多くの移植患者さんが、「自分がこの病気にならなかったら『移植』医療なんて考えも及ばなかった」とおっしゃいます。極端な表現かも知れませんが、渋谷や新宿で遊んでいる若者も分かってもらうような移植医療を目指さないと、いつまでたっても移植医療は特別な人が特別な状況で受ける治療という理解で終わってしまいます。

 

 移植医療への理解を広めるには、移植医療の体験者からの言葉を若者からお年よりまで、うれしいことから悲しいこと、うまくいったことからうまくいかなかったこと、全てを包み隠さずにお伝えすることが大事だと思います。

 

 移植後の患者さんが元気になりましたということ。ドナーのご家族が、愛するものを亡くした悲しみは癒されることは無いが、提供したことで誰かの喜んでいただいて良かったと思うこと。そのような生のメッセージを伝えていかなければならないといけませんね。

今後

 皆さんは、海外旅行へ行ったことはありますか。どの国へ行っても、空港では荷物が無くならないかが心配で、空港ではスリに気をつけなくてはならず、空港から町へのアクセスは複雑だというイメージがあります。一方、日本へ帰ってくると、とてつもなくホッとします。荷物が無くなる事はまずないですし、スーツケースが壊れていると航空会社がきれいに修理して下さる。もちろん、スリには気をつけなくてはいけないけれども外国に比べたら安全です。主要な町へはアクセスが良く、私はいつもリムジンバスを利用するのですが、荷物を渡すときれいに並べてバスへ収納し荷物の引換券を下さいます。出発前には、バス会社の方からのお行儀良いご挨拶までいただける。英語で言うと「Efficient=効率が良い」国だと思います。

 

 しかし、なぜ移植医療はこのようにEfficientに効率よく進まないのか。それは、移植に限らず医療の問題だと思います。慢性的な医師不足、破綻寸前の国民皆保険、資金不足の公費助成制度、急増する高齢者という様々な問題の中で、移植医療などの先端医療における問題はその医療に携わる者たちで解決するように求められているのかも知れません。

 

 私は、完璧な世の中はないと思っています。完璧な幸福もなければ、完璧な悲劇もない、すべての何らかの理由があって物事は起きている。そこに生きている以上、根を置いて毎日できることを精一杯するのが人生ではないか、と考えています。10年前は、「移植コーディネーター」としてお給料がいただけるか、まったく分かりませんでした。しかし、周りの先生方や患者さんがその必要性を訴えてくださり現在の仕事があります。

 

 皆さんも、ご自分の理想を追求していく上で、さまざまな問題に直面することもあるかも知れませんが、どうぞあきらめずにがんばってください。微力ながら、私は一つのモデルとして努力し続けたいと思っています。