筒井 真優美(つつい まゆみ)さん

1974 慶應義塾大学医学部付属女子厚生学院 卒業
1974-1979 慶應義塾大学医学部附属病院小児病棟
1980-1981 K.C.V。クリニック
1984-1987 聖母女子短期大学
1991-1993 聖路加看護大学
1993- 日本赤十字看護大学
現在 日本赤十字看護大学 小児看護学教授

 

◆研究テーマ:
小児看護における技
小児看護学のカリキュラムおよび小児看護学実習
ケアリングと癒し

 


なぜ小児看護へ?

 看護学生の頃は、阿部やえこさん(←すみません。お名前の漢字が分かりません。)にあこがれました。彼女は整形外科の病棟の師長をされていて、看護ができる方で、素敵でした。一緒に働きたいと思い整形外科を希望していたら循環器病棟に移られたので、次は循環器でもいいかな、と思いました。小児科病棟に行きたいとは思っていませんでしたね。

 

 でも、小児実習に行って、子どもに小児で就職してと言われて、コロッと小児にいってしまいました。子どもは嫌いではなかったし、学生のときは児童文学研究部に所属して紙芝居や人形劇をしに、色々なところ出かけていました。当時は助産師もいいかな、保健師もいいかな、いや、阿部さんに出会い整形外科と思い、阿部さんが循環器に移ったら、循環器と思っていたような感じでした。

実際に働いて

 子供からも教えてもらったけれど、家族から随分学びました。何も疑問を持たず、毎日が楽しく、それは看護学校を出たからかなと思います。大卒の人と話していると、色々なことに疑問に思うし、現場の問題点についても考えられるし、でも私は何も問題点とか考えなかったら、ただ楽しいと思っていました。そうやって過ごしていた時、学童の白血病の子どもに話しがしたいと言われて、薬を配るのに集中していたときだったので「またあとでね」といって、その後行くのを忘れてしまいました。明後日に勤務に来たら、その子はもう話せる状態ではなくなっていて、その時ガーンという感じで、今まで何も疑問も持たずにやってきたけれど、私は何をやってきたのだろうと思いました。

 

 その頃たまたま通信大学で一緒だった聖路加看護大学の教授の方に、聖路加に修士ができるかなら来ないと誘われて、そのときは、修士ってなんですか?大学院って何ですか?とあまり興味もなかったけれど、その出来事の後、もう一回学び直そうと思いました。

そして入った大学院

 大学院で看護とは何かを学びなおすことができて、引き出しがいっぱいでき良かったです。働いていたときは、自分は毎日毎日楽しくて、これは自己満足ですよね、ケアリングではなかったですね。 

 

 その後、臨床に戻ろうと、慶應に戻ろうと思っていたのですが、夫が転勤でサンフランシスコに行かなくてならなくなって、サンフランシスコではICNの会長の南裕子先生や家族看護学会の副理事長をされている野島左由実先生が博士課程に行かれていました。彼女たちから博士にいくべきだと言われ、その時は、博士ってなんでしょうね?と思っていたけれど、南先生が「博士に行って学ぶってなんだか分かったわ」とおっしゃった言葉がひっかかっていました。私は学ぶって何か分かっていないということ?と思っていました。 

 

 そして、サンフランシスコから戻ってきたときに、縁があって聖母女子短期大学に行き、そこで4年程助手、講師をして、夫がまた転勤になり、またニューヨークに行きました。

ニューヨークでは博士課程を

 転勤でルンルンだったのですが、日本赤看護大学の樋口康子先生に、お金とか何かで困ったことがあったら連絡しなさい、とにかく修了して帰ってきなさいと励ましの手紙も頂いて、博士課程に入って頑張ろうと思いました。その気持ちがあったから、日本赤十字看護大学の奨学金をうけているわけでもないし、卒業生でもないし、病院でも働いたことがなかったけれど、日本赤十字看護大学で修士が立ち上がるから、小児看護を教えに来ないかといわれて、こちらへ来ることにしました。出会いですね。出会いは大事にしたいですね。

大学院などを将来のステップに考えている人

 アメリカの修士課程は50人クラスで研究よりも実践が中心です。あまり学部教育と変わりません。一方、日本は修士論文などをきっちり書きます。良い教員がいるのでしたら修士は日本でとるのがいいと思います。そして、博士課程のある大学で修士をとることをおすすめします。私は聖路加看護大学の修士課程で、きちっと修論を書いたので、博士2年半でとることができました。博士は領域によってはアメリカの方がいいと思います。アメリカは博士まで出ている教員が多いので、博士教育に慣れています。博士課程はお金があればアメリカで、アメリカの文化を学ぶことで、日本の文化が分かります。日本の良さ・悪さも分かります。

努力が報われる社会だからこそアメリカンドリームはある??

 やはりアメリカンドリームがありますね。最初は差別されることもあるけれど、実力があれば認めてもらうことができます。私も勉強を頑張ったので大学院から奨学金をいくつかもらいました。

 

 それからアメリカはチャンスが平等に与えられます。日本だと学閥とかいろいろあるけれど。医療だけでなく、例えば、オペラのチケットとかも安くて皆の手に入ります。ただ成功するためには努力をし続けることが求められるから緊迫していて大変ですね。だから、ずっとアメリカにいたいとは思わなかったです。やはり日本のほうがいいですね。

そして現在

 日本赤十字看護大学15年目になります。今は、修士・博士課程も含め、「子どもと家族の看護」「看護科学論」「研究方法(質的研究)」を教えています。小児看護学は、慶應にも教えに行っています。

看護科学論とは

 アメリカでは、看護学のことを指します。ニューヨーク大学の博士課程のコースは小児や母性といった分野で分かれているのではなく、理論と研究で分かれています。アメリカの博士課程は、理論とは何か、研究とは何か、理論と研究の関係とは何かなど考える授業があり、とらなければならない授業がたくさんあります。そこでは、看護とは何かとか、研究はなぜ必要なのか、など考えました。

 

 私は、マーサ・ロジャースの教え子で、彼女は看護とは何かを本の中や講演で言っていて、その影響をすごく受けています。子どもや家族のことをやっていても看護とは何かというのが流れているのかな、と思っています。

ケアリング〜人間の変化を予測しながら関わる

 成人は「ありがとう」「よかった」などと表現できますが、子どもの場合、表現することも難しいので、ケアリングする前に何が必要かを考えること、ケアリングをした後に評価することはとても難しいです。しかし一方で、学生が関わって子どもは変わっていく場面を見てきました。例えば、フィジカル面では呼吸状態が落ち着いていくことが分かります。十分に関わると、すごいなと思いますね。

 

 しかし、子どもは成長発達しています。だから、本当にそれが私たちのケアの結果なのか分からないことは多く、自己満足できません。成長発達していく、子どもがだんだん大きくなっていくことをみるのは、すごい喜びです。あんなに手をかけてやったのに、とも思いつつ、こんなにやんちゃになって、とすばらしいと感じます。

今思っていること

 今は、大学院の授業を行ったり、委員会に出たり、ということで臨床現場に還元していることが少なくて申し訳ないと思っています。医療機器の変化や子供の疾病の変化、病院システムの変化、例えば在院日数の変化によってケアの手順なども変化しているので、現場に行っても分からないことは多いです。自分が現場でできることがあまりないのではないかと思って怖いです。

 

 現場の人との勉強会(「小児看護研究会 Candy: children and you」)を開いています。もう15年目になりますが、年間500円で、慶應や成育医療センターの人も来ています。先日は、ボストンでの小児看護の学会の報告などを行いました。また、勉強会のときに、お互いに小児看護のセミナーなどの情報交換をしています。

 

 臨床の方々の悩みなどを聞かせていただくことができて、私にとって非常にためになっています。いろいろなことを教えてもらっています。事例としては家族が見舞いに来ないことや虐待のこと、子供が亡くなったことなど。解決策が見出せないこともありますね。会の中では、悩みや課題を持ってきた人がまずは前向きになってすぐにできることを見つけることができるように心がけています。そして会に来た人が元気になってパワーアップして自分の現場に帰っていく。元気になった一人の人が病棟に戻ることで病棟も元気になっていく。それが子供の最善の利益に繋がればすごく嬉しいと思っています。CNSコースの修士の学生も参加しており、コンサルテーション能力がCNSには求められるので、この学生たちがどのような言葉をかけられるのかも見ています。

 

 この他にも臨床の方が開催する勉強会に来てほしい、と言われたら行きたいと思っています。

今後のビジョン

 後輩をどのようにして育成していくのか、ということが最も優先度が高いです。修士や博士だけでなく、小児看護研究会に来る人など、とにかく小児看護のサポートをしていきたいのです。

 

 研究方法や科学論なども教えるのですが、子供が専門ですね。子供と出会っていなかったら違う専門になっていたかもしれませんが。子供のパワーってすごいです。だから後輩達にも子供との関わりを通して小児看護のすばらしさややりがいを感じてもらい頑張ってもらいたいです。

 

 本当に子供は人をよく見ています。嗅ぎわけるかのように。だから自分がピュアではないときは子供には近づきたくないですね。全てが見透かされてしまうから。脳性麻痺の子供がいて、その子に認めてもらえたと思ったときは、すごい自信になりました。

 

 学部生も子供に近くて、修士よりも学部の授業は緊張します。修士の学生は学びにきている自覚が高いけど、学部生は授業が面白くないと平気で寝たりするので。だから、私なりに学部の授業はとても頑張っています。2000人の講演とかは平気だけど、学部の授業は3回目くらいまではワナワナ震えてしまいます。講演会には聴く気があって来ているし、大人なのでつまらないと思っても聴いてくれる。でも学生は寝たり出て行ったりしますからね。だから私は一生懸命に子供の面白さや大切さを伝えようと頑張っています。